カサ・バトリョ
1904年、綿紡績会社を経営する実業家、ホセ・バトリョがガウディに邸宅の建築依頼をしました。
元々バトリョが所有する邸宅は1877年に造られたもので、個性のないシンプルなデザインでした。
そして1902年、隣に建設された邸宅「カサ・アマトレール」が非常に美しく存在感があり、バトリョの邸宅が全く目立たなくなってしまったのです。
この当時の実業家、グエルや「カサ・ビセンス」のマニュエル・ビセンスもそうですが、彼らは皆、富の象徴として「目立つ建物」を持ちたがる傾向にありました。
但し、バトリョの邸宅は骨組みがしっかりしていて、わざわざ壊して新しく建てる必要が全くなかったので、ガウディは「改築」という形で仕事を引き受けることにしました。
単なる改築では以前とさほど変わらないのでは、とバトリョは心配しましたが、外壁に地中海のブルーを基調にしたモザイクタイルやセラミックの円盤を配置することで、際立った個性を持つ建築物に変貌しました。
バルコニーは頭蓋骨のような形をしていて、柱は人間の骨のようです。
この改築工事が完了したのは1906年のことですが、すぐに人々から「骨の家」「あくびの家」というユニークなあだ名がつけられ、評判になりました。
しかも強烈な個性を放っていながら、隣の建物の個性を全く潰すことなく配慮されていて、ガウディ温かい人柄が窺える作品になりました。