偉大な建築家として
神の声を聞き、敬虔なカトリック教徒に生まれ変わったガウディは、自らが神であるかように、その後多くの若き建築家が憧れる、伝説の建築家へと変貌を遂げていきます。
1892年、サグラダ・ファミリアの発案者であるボカベーリャが亡くなりました。
そして1895年に「サグラダ・ファミリア聖堂建設委員会」が発足し、そこが施主の座を引き継ぐことになったのです。
主のいない建築を造ることに、ガウディは不安を感じていましたが、委員会発足以降、彼は再びサグラダ・ファミリアに没頭することができるようになりました。
1898年には、繊維工場を経営する裕福なペレ・マルティル・カルベットから邸宅建築の依頼を受けました。
この当時、建築様式に関する様々な迷いが吹っ切れていたガウディは、彼の作品の中では珍しく単色に近い外観を持つ「カサ・カルベット」を建築します。
ここには、当時ガウディが興味を持っていたカタルーニャ・バロック様式が採用されています。
初期の作品には、ムデハル様式の影響を受けた作品が多いのですが、地中海沿岸の地にイスラム様式のものは映えないという結論に達し、ムデハル様式へのこだわりはすっかりなくなっていたのです。
「カサ・カルベット」は、第一回バルセロナ市建築年間賞を受賞しました。
このことで、ガウディの名声は決定的なものとなり、偉大な建築家として人々に知られるようになります。