愛する人々の死
ガウディが魂を込めて「カサ・ミラ」を完成させたのは1912年、彼が60歳を迎えた時です。
この頃、ガウディは愛する人々を次々に失い、彼自身の健康状態も少しずつ悪化していました。
1906年、彼がグエル公園に移っておよそ半年後、彼の父親が亡くなりました。
享年93歳。
いつも良い話し相手であった最愛の父を失い、彼は悲しみに暮れます。
1912年には、共に暮らしていたガウディの姪・ロサが亡くなりました。
生まれながらに知能の発達に問題が見られ、決して健やかに過ごしてきたわけではありませんでした。
しかし、ロサの死をもって彼は家族全員を失ったことになり、生涯で最も孤独でつらい日々を過ごすことになったのです。
ガウディはますます信仰を深め、1日に僅かな食事しか摂らずに仕事に没頭しました。
そして、「カサ・ミラ」を最後に、民間の邸宅の建築依頼を受けることなく、教会関連施設のみに集中するようになっていきます。
1909年にはサグラダ・ファミリア付属学校、1914年にはパルマ大聖堂内の改築、1916年には聖なるモンセラートの岩場に小さな聖堂を建設しました。
しかし、どれも以前に比べるとさほど大きな規模の建設計画ではなく、彼の生活の中心はサグラダ・ファミリアの建築作業にありました。
孤独に耐えるガウディをロレンソ・マタマラが心配し、やがてガウディのグエル公園にある邸宅に移ってきます。