サグラダ・ファミリアに捧ぐ人生
ガウディの長年のパトロン、エウゼビ・グエルが1918年にグエル公園何の邸宅で、静かに息を引き取りました。
ガウディは、臨終に何とか間に合い、最期の祈祷に正装で出席しました。
彼は、神の声を聞いて以来服装に無頓着になり、ホームレスと間違われるようなボロボロの服で過ごしていたのです。
グエルはガウディの良き理解者となり、40年に渡る交流の中で、実に様々な建築物を一緒に築き上げてきました。
グエル別邸から始まり、グエル邸、コロニア・グエル、そしてグエル公園・・・そのうち、コロニア・グエルとグエル公園は、完成することができませんでした。
遺体はグエル邸に移され、そこで葬儀が行われました。
グエルの後を継いだのは、グエルの息子、エウゼビ・グエル(父と同名)です。
息子グエルは、父の残したものをできるだけ保存したいと願っていました。
そこで、1922年には、未完のグエル公園をバルセロナ市に寄付、そのほかの父グエルとガウディの作品も全て保存されることになりました。
ガウディは、愛する人々を次々に失う中、やがて人前に姿を見せることもなくなり、サグラダ・ファミリアに引きこもります。
余生をサグラダ・ファミリア完成のために捧げる決意をし、1914年からはサグラダ・ファミリア以外の仕事を全て断りました。
そして、1925年には聖堂内の事務所に移り住み、死ぬまでそこで過ごす決意をしたのです。