サグラダ・ファミリアの主任建築士に
1883年、ガウディは、「サグラダ・ファミリア」の主任建築士に大抜擢されました。
しかし、実は着工したのはその前年、1882年のことで、彼は二代目の主任です。
前任の建築家、フランシスコ・デ・パウラ・ビジャールがこの建設プロジェクトを辞任し、ガウディが指名されたのです。
ガウディを推薦したのは、マントレールです。
サグラダ・ファミリアの依頼主、ホセ・マリア・ボカベーリャから新しい建築家を探してほしいと依頼された時、マントレールが真っ先に思い出したのが、ガウディの師でもあるドメネク・イ・モンタネーとガウディの二人です。
そして最終的に、自分の愛弟子であったガウディを推薦することにしました。
ガウディはこの当時、相変わらず無神論者を貫いていました。
カトリック信者ではないのに、カトリック教会の建築を任されたことになります。
しかし当時のガウディにとって、信者ではないということはあまり気にならないことでした。
まだまだ駆け出しで大した功績を残していないにも関わらず、教会建築を任されたのです。
それは、この上なく名誉あることでした。
自分の経歴に箔がつき、より豊かな暮らしが約束されたようなものです。
ガウディは喜んでボカベーリャと契約を結びました。
その後、サグラダ・ファミリアの建築は、彼の人生そのものになっていきます。
しかし無神論者の彼は当時、まだそのことに気づいていませんでした。