母と兄の死
アントニの兄・フランシスコは、自分の病気が深刻なものだと恐らく気づいていたでしょう。
それでも、医師免許を取得し、早速医者として仕事を始めました。
しかし、それも長く続くはずがありません。
結局は仕事を辞め、レウスで休養生活を送ることになりました。
そして、1876年、25歳の若さで息を引き取ります。
弟・アントニは混乱しました。
兄のことを心から尊敬し、自慢に思っていたのです。
家族全員がフランシスコを愛し、彼の死に嘆き悲しみました。
しかし、アントニは、すぐに学業に戻ります。
現実を直視したくないという気持ちだけでなく、兄を失った今、自分が早く一人前にならなければという、家族に対する使命感が生まれたからです。
しかし、不幸は更に続きます。
息子を悲しみに打ちひしがれた母が、息子の後を追うように、兄の死から2カ月後、息を引き取ったのです。
この時、彼は神に怒り、神の存在を許せないと思いました。
神は自分から愛する者を次々に奪っていく・・・。
そして、完全に信仰を失ったのです。
元々宗教学は得意ではなく、全く信心深くはありませんでした。
しかしこの時、彼が思ったことは、信仰そのもの、神そのものに対する強い否定感情です。
後にカトリック建築の大傑作「サグラダ・ファミリア」を手掛けるようになりますが、この時の彼はカトリックに失望し、無神論者として生きていくことにしたのです。