ドメネク・イ・モンタネー(Lluis Domenech i Montaner, 1850年12月21日~1923年12月27日)
ガウディの2歳年上で、常にガウディのライバルと言われていたドメネク・イ・モンタネー。
当時のバルセロナでは名士として広く知られていた人物です。
モンタネーは、バルセロナでも有数の製本業者の息子で、裕福な家庭環境で生まれ育ちました。
バルセロナ建築学校に進むと、彼は建築分野で優秀なだけでなくリーダーシップを兼ね備えていたので、校長から絶大な信頼を得るようになりました。
25歳の若さで教授に就任、この頃23歳だったガウディは、僅かな期間ですが、モンタネーに教わっています。
お互いにプロの建築家になっても、モンタネーとガウディは正反対の道を進みました。
モンタネーは父親のコネを使って次々に大きなプロジェクトに参加し、1900年にはバルセロナ建築学校の校長に、1901年には国会議員になり、建築以外の分野でも華々しい経歴を築いていきました。
一方、口下手で建築のみが人生の使命であったガウディは、名声に興味を示すことなく、建築以外のことを積極的にするタイプではありません。
モンタネーとガウディを比較するならモンタネーは「優秀な建築家」、ガウディは「変わり者の建築家」といった感じです。
モンタネーは、オリジナリティを大切にしながら、人々が受け入れやすい建築物を次々に生み出しました。
その中の一部は世界遺産に登録され、モンタネーはガウディ同様、「バルセロナの巨匠」の一人として知られています。