カサ・ミラ
実業家ペドロ・ミラの邸宅を建築することになった時、バルセロナは戦乱の中にありました。
地中海を跨いだ対岸のモロッコなどの植民地を巡る争いが起きていて、それに便乗したアナーキストたちがバルセロナで次々に暴動を起こしていたのです。
彼らは、権威の象徴であるカトリック教会を敵視し、キリスト教建築を次々に破壊しました。
しかし、カサ・ミラは着工しました。
ガウディがここで描きたかったのは、地中海です。
直線が一切ない、優しいカーブを描いた外観、内装は地中海のうねりを表現していました。
地中海、それはガウディが幼い頃から愛し続けた場所で、そこにカタルーニャの魂が宿っていると信じていました。
ガウディはこの建物に、高さ4.5mのマリア像を建てる予定でした。
マリア像は彼にとって、愛する女性を象徴するものです。
しかし、カトリック教会を標的にした暴動が次々と起こる中で、ミラ一家はマリア像建立を中止することにしました。
ガウディは、諦め切れません。
そこで、彼は石像のバラを造り、マリア像設置予定だった場所に置くことにしました。
バラは、マリアの象徴です。
そして、マリアと愛する女性を重ね合わせ、バラを捧げたのです。
この邸宅には、「ラ・ペドレラ(石切場)」という不名誉なあだ名がつけられました。
当時の評判は決してよくなかったのです。
しかし、彼は自分の作品にこの上なく満足しました。